自分の中の雑念に微笑む

今日は仕事帰りに築地本願寺に行って参りました。
「瞑想と法話の夜 スペシャルプログラム」
という催しに参加したのです。
ティク・ナット・ハン師がフランスに創設した「プラム・ヴィレッジ」という共同体から、いま、シスターとブラザーが来日しています。
(禅の共同体ですが、「シスター」「ブラザー」という呼び方をしています)
その方々の法話を聞き、瞑想の実践もありました。
最初に、歌の練習がありました。
ギターの伴奏で、歌詞は正確に覚えてないのですが
「ゆっくり吐いて、ゆっくり息を吸って、今、ここ」
といったような内容でしたでしょうか。
2曲うたって、なんだかテゼの集いのよう。
そのあとは、シスターのガイドで瞑想の時がもたれました。
記事のタイトルはその時のシスターの言葉です。
「自分の中の雑念にも微笑んでください」
黙想でも瞑想でも、人間であれば雑念はつきものです。
「雑念が湧いてきても、そのまま受け流すように」とたいていの本には書いてありますが、「雑念にも微笑む」というのは目からウロコでした。
雑念すらも否定しない、ということでしょうか。
黙想や沈黙の祈りのとき、とかく「集中しなくては!」と焦ったりしがちですけれども、
雑念が湧いたらその時は微笑む・・・なんと心穏やかに坐っていられることでしょう。
そのあとは、ティク・ナット・ハン師の本によく出てくる「みかんの瞑想」が行なわれました。
一人につき1個ずつ渡されたみかん(この時期ですので、みかんというより、少し大ぶりのオレンジ系の果物)を手に、まず香りを嗅ぎ、重さを感じるところから始められました。
この重さは中に水分がつまっているから。
その水分は、どこから?
お百姓さんが水をあげたから。
その水はどこから?
川から。
その川の水はどこから?
空の雲から雨が降って。
その雲の水分はどこから?
海の水が蒸発してできたのかもしれない
・・・
というふうに、みかん1個から地球全体を思いつつ、20分ほどかけてゆっくりとみかんを味わいました。
「みかん1個を20分かけて食べるなんて、ここにいる私たちは今、この忙しい東京の中でいちばん贅沢なことをしています」とシスター。
会社帰りの2時間ちょっとの会でしたが、久しぶりにゆっくりと坐ることができました。
また何か思い出したら追記します。
イースターおめでとうございます

あっという間に復活祭を迎えました。
今年の四旬節は、ほとんど四旬節らしいことをしていなくて、このまま復活徹夜祭を迎えてもいいのかと思うほどだったのですが、時は容赦なく過ぎていき・・・そもそも枝の主日のあたりが世界選手権で、
と、書いているうちに過去の四旬節、私はどんなふうに過ごしていたのかと検索してみたら、今とまったく同じようなことが書いてあって萎えました・・・まったく成長してません

→2010年4月4日の記事
でも、2010年と今とではやっぱり違うんですね・・
昨年の東日本大震災を境にほんとうに変わってしまったと思います。いろいろなことが。
とりわけ最近では、政府が、首都圏の直下型大地震をM7として想定しなおしたとか、
福島の原発事故が決してまだ収束していないこととか、
近隣国の「人工衛星」打ち上げに対して迎撃体制がとられたとか
(そのニュース映像を見て、まるで戦争が始まるみたいと思ってしまったのですが)
そうしたことで、
桜の花を見ても、復活徹夜祭の大ろうそくを見ても
「もしかしたらこれを見るのは今年で最後になるかも・・・」
と心の片隅で思ってしまいます。
といっても悲壮な心もちでそう思うのではなくて、淡々とそう感じるのです。
自分は今まで生かされてきたんだなあと思うわけです。
今まで生かされて、たくさんの時間を与えられてきたのに、それにお返しできるような自分であったかなー、とちょっと反省も。
でも冷静に考えてみれば、与えられたものに100%お返しすることなど、どうやっても人間にはできないですね。
大震災以降、「聖母マリアへの祈り」がけっこう真実味を帯びて心に迫ってきます。
なにしろ、この祈りの最後の句が
「今も臨終のときも祈りたまえ」
ですから

(一人で祈るときは今も文語体)
といっても、いままで疑いながら祈ってきたわけでもないのですけれども。
どんなに健康な人であっても、明日、臨終のときを迎えるかもしれません。
結局のところ、人間にできることというのは「今日この一日」を生きることなんだなあと改めて思います。
そして同じ一日を過ごすのなら、心をこめて丁寧に、美しい一日を過ごしたいなあと、慌しかった3月を後にして思うのでした。
- at 18:45
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一日の終わりに静かなお茶を

最近、よくカフェに行くようになりました。
カフェといっても、雑誌に特集されるようなお洒落なカフェではありません。
駅前などによくある、紅茶1杯200円前後のチェーン店です。
夜は外食が多いのですが、食事を終えてお店を出たあと、時々そうしたカフェに入ってしまいます。
特に、食事をとったお店がガヤガヤと騒がしい時ですね。
騒がしい中で食後のお茶をいただいても落ち着かず、どこか損したような気分になるので、ある時「よーし、2軒目だ!」と駅前カフェに行ってみたのです。
そうしたら、お客さんが少なかったこともあって落ち着くこと落ち着くこと

それ以来、時間に余裕のある時などはよくハシゴするようになりました。
ところでお茶を飲みながら何をしているのかというと、最近新たに始めたことが二つあります。
一つは、仕事のふりかえりです。
その日の仕事で、「これは良かった!」と思うことを最低1件、「これはいま一つだった」と思うことを最低1件、専用の手帳に書き出しています。
100円ショップで買ったごく薄い手帳で、見開きで一ヶ月のスケジュールが書き込めるようなタイプです。
そこにたとえば4月1日だったら、4月1日の欄に
○何々の作業の手順書をまとめられた
△午後、集中力に欠けて残業になってしまった→睡眠不足のせいなので、夜は0時前に寝るようにする
などと書いていくのです。
冒頭の記号の○は「これは良かった!」という印。
逆に「いま一つだった」ものには、△の記号をつけて、それはどうしたら解決できるか?ということも簡単に書いておきます。
「いま一つだった」印を×でなく△にしているのは、まあ気分的なものですね。
×が連日並んでいると気分も滅入ってきますので。
これを毎日書いていくと1ヶ月たった時に、1ヶ月分の状況が見開きでふりかえられるのです。
そこで詳細に分析するわけではないのですが、一日一日を忘却の彼方に流してしまうより、こうして意識してふりかえりの時間を持てば、少しは仕事力をあげられるかなと思いまして。
(といっても毎日のこと、無理はせず、書ける時だけにしていますけれど)
ちなみに土日の欄には、週末の生活での○と△を書いています。
○猫トイレAの掃除完了
△押入れの片付けができず
という感じですね。
これらは、「お茶を飲みながら新たに始めたこと その2」の準備運動にもなっています。
その2については、また来週にでも・・

*画像は、写真素材サイト「足成」より、真夏さんの作品
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イースターおめでとうございます。
私にとっての思い出深いイースターはやはり3年前ですね。
イースターの翌日にMRI撮影、その週にがん宣告。
3週間で仕事の引継ぎをして連休明けに聖路加入院、手術、国立がんセンターに転院、抗がん剤治療、そしてまた手術と、本当に大変な日々を過ごしてしまいました。
あれから3年、完全に「復活」とはいきません(後遺症が多々残っています)が、ひとまずがんは安定しています。
発症から2年半放置したことを考えると、今こうして無事に過ごせているのが奇跡のよう。
もしかしたら、本当にあの時、「臨終」になっていたかもしれません。
がんになって、人生観が大きくかわりました。
「命」という、はかりしれない恵みをくださる神様に感謝し、志半ばで召されてしまった人の分まで、一日一日を大切に生きていこうと思います。